岡山大大学院自然科学研究科の池田直教授らは、夜間でも充電可能な太陽電池を開発しているそうです。
違いは材料。従来の光発電装置にはシリコン材料が用いられていましたが、太陽からの可視光によってでしか発電できないうえ、高価であるといった欠点がありました。現在、池田教授らが開発を進めている光発電装置の材料は「酸化鉄化合物」。可視光だけでなく赤外線にも反応するため、従来の100〜1000倍の光吸収率を実現し、夜間における発電も可能にします。しかも酸化鉄化合物は安価なので大幅な製造コストの低減も見込めちゃうそうですよ。
さらに面白いのは、酸化鉄化合物の「薄く延ばせる」といった特性を活かすことで、住宅の外壁や屋根、人工の街路樹などに「塗る」光発電装置を実現出来る可能性もあるそうです。
いつでもどこでも発電出来ちゃう未来が近い!?
たぶんイメージで誤解していると思うのだよね。コンピュータに向かってなにやら一人でキーボードを叩いているのが、昭和の時代に描かれたコンピュータに管理された未来世界を連想するのだろう。
あるいはちょっと前のファミコン時代。通信回線のなかった時代の、ね。友達と遊ばないで一人でファミコンをやっている。これは確かに相手をしているのはコンピュータだ。
でもネット時代は違う。相手をしているのは同じ人間。昭和の時代よりもはるかに多くの、そして濃厚なコミュニケーションをしているはず。少なくとも1970年代以降では、一番人間性を取り戻した時代だと思う。
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人間同士のコミュニケーションだけで見れば、1970年代~1980年代が一番の暗黒時代だったと思う。暗黒時代以前は、範囲は狭いが生身の人間同士のコミュニケーションがあった。暗黒時代以降は生身の人間同士のコミュニケーションは減ったかもしれないが、通信回線により広い範囲のコミュニケーションが可能になった。
暗黒時代は生身の人間同士のコミュニケーションが減る一方で、通信回線も未発達だったから一番コミュニケーションの量が減った時代。
いろいろネットで人間同士のトラブルが起きるのも人間性豊かな時代だからだろう。相手が人間でないなら(テレビ局やファミコンのプログラム)なら、トラブルも起きようがない。
まったく同感。全員が同じものを一斉に摂取して同じことをいうあのTV文化ってほんとキモかった。子供の頃から。
滅びてよかった。
(yaruoから)
誰に対しても本質を突こうとするのは、自分の立ち位置が見えていない人の行動だと思った。
自分が弱ったとき、他人からされてみて、初めてそういった行動の有害さがわかった。
昔は私自身も、問題には早急に向かい合うべきだし、世間話やあいさつには中身も意味も無く、
誰に対しても本気で本題をぶつけるべきだと思っていたのだけれど、
信頼関係が出来ていれば「本質的な話」がその人を救うことになるし、
信頼関係がお粗末であれば、「本質的な話」は相手を不快にし憂鬱にし恨まれるだけなのだ。
劣化するTVに対して、今や俺がマスコミ唯一の良心だと思ってるのがNHKラジオ第一。地味にいい番組してる。あんまり有名でも無いけどそれなりに頑張ってる人にじっくり話し聞いてたり、イイ音楽を意外に流してたり。討論番組とかもTVみたいに人が喋ってるのにそれにかぶせて話し始める人がいない。みんな話し終わった後で別の人が話し始める。
今後はTVの劣化とともにこういう廃れてたと思われてたメディアが少し復活してくんじゃないかなあと思ってる。だけど民放ラジオはラジオショッピングばっかりだし、TVから流れてきたと思われる妙なハイテンションについていけない。
ラジオってマス(大衆向け)コミだけど、なぜか聞いてるときは自分にだけ喋ってるような感じがするよね。特に深夜ラジオなんてそんな雰囲気。21世紀はまたこういうのが復権するといいな。