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子どもに対して「もっと現実を直視しなさい」と説教する親や教師がいますが、自己評価と他者の評価が一致している、すなわち“勘違いしていない”ひとの典型はうつ病患者です。あらゆる出来事をネガティブにとらえてしまうのがうつ病だとされていましたが、最新の研究では、彼らの自己認識は正確すぎてポジティブな勘違いができないのだと考えられるようになりました。
「偏諱を賜う」ことは武士にとってみれば格式を示す、一種のステータスシンボルだ。「もらった」ということは、主君に信頼されていることの証である。しかも、これはタダだ。領地や金をやれば、その分主人の側は持ち出しになるが、これは一切費用がかからない割には、家臣は大喜びする。つまり使用者側にとって、こんなに都合のいいボーナスはないのだ。だから、大名によっては乱発するものもいた。「領地も金もやらぬが、これで我慢せい」ということだ。  実は、織田信長が茶道を熱心にやったのは、一つはこのためだ。褒美に茶器を与えるのである。茶器というのは、元をただせば陶器であり、竹を削ったものであり、原価はタダに等しい。だが、それを一流茶人が「名器」と評価すれば「領地より茶器の方がいい」などという家臣すら出てくる。
退屈がないところにアルコールがはいり込むすき間はない。アルコールは空白の時間を嗅ぎ当てると迷わずそこにすべり込んでくる。
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「教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。「教養」とは学歴のことではなく、「一人で時間をつぶせる技術」のことでもある。
今夜、すべてのバーで p.52、p.132 (via izumiumi) (via nemoi) (via jacony) (via petapeta) (via aun-059) (via dj-satosato) (via naoquixote)
2009-07-13 (via gkojay) (via usaginobike) (via usaginobike) (via it-shine-reading) (via usaginobike) (via lovecake) (via irregular-expression) (via mcsgsym) (via hustler4life) (via proto-jp)
なお私が今まで一番痺れた古典解釈は個別批評ではなく、友人の予備校教員から教わった「和歌を詠むって、今でいえば写メを撮るって感覚なのね」です。美しい景色や美味しい料理に感動した時、驚いた時や悲しい時、我々は写メを撮り、万葉人や平安人は和歌を詠み、好かれたい人、大切な人に送る。
僕の経験からすると、
頭のいい人の整理術:特に整理してない
頭のいい人の読書法:特に気にせず何でも読む
頭のいい人のノート術:本人にしか読めないことが多い
頭のいい人の思考法:ついて行けない
頭のいい人の日常会話:アホ
wgetのスペルは「片手でもコマンドできる」ということもあって、多くの人から気に入られています。
子供向けスマホアプリにお願いしたいのは「おしまい」を用意すること。エンドレスだと、やめるタイミングを失ってしまう。テレビ番組などにはエンドロールという「おしまい」があること、むすめはわかってる。子供向けのコンテンツは、ちゃんとおしまいを設けて欲しいなと、母ちゃんはつぶやいてみる。

岡山大大学院自然科学研究科池田直教授らは、夜間でも充電可能な太陽電池を開発しているそうです。

違いは材料。従来の光発電装置にはシリコン材料が用いられていましたが、太陽からの可視光によってでしか発電できないうえ、高価であるといった欠点がありました。現在、池田教授らが開発を進めている光発電装置の材料は「酸化鉄化合物」。可視光だけでなく赤外線にも反応するため、従来の100〜1000倍の光吸収率を実現し、夜間における発電も可能にします。しかも酸化鉄化合物は安価なので大幅な製造コストの低減も見込めちゃうそうですよ。

さらに面白いのは、酸化鉄化合物の「薄く延ばせる」といった特性を活かすことで、住宅の外壁や屋根、人工の街路樹などに「塗る」光発電装置を実現出来る可能性もあるそうです。

いつでもどこでも発電出来ちゃう未来が近い!? 

夜は空気もクールだし、懐かしい音が聞こえる。夜の音というのだろうか、しーんと鳴っている。それがまるで、夜という機関の作動音みたいで、それを聞いている間は安心できる。この音が止まったら、星が一斉に落ちてきそうな感じもする。

たぶんイメージで誤解していると思うのだよね。コンピュータに向かってなにやら一人でキーボードを叩いているのが、昭和の時代に描かれたコンピュータに管理された未来世界を連想するのだろう。

あるいはちょっと前のファミコン時代。通信回線のなかった時代の、ね。友達と遊ばないで一人でファミコンをやっている。これは確かに相手をしているのはコンピュータだ。

でもネット時代は違う。相手をしているのは同じ人間。昭和の時代よりもはるかに多くの、そして濃厚なコミュニケーションをしているはず。少なくとも1970年代以降では、一番人間性を取り戻した時代だと思う。

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人間同士のコミュニケーションだけで見れば、1970年代~1980年代が一番の暗黒時代だったと思う。暗黒時代以前は、範囲は狭いが生身の人間同士のコミュニケーションがあった。暗黒時代以降は生身の人間同士のコミュニケーションは減ったかもしれないが、通信回線により広い範囲のコミュニケーションが可能になった。

暗黒時代は生身の人間同士のコミュニケーションが減る一方で、通信回線も未発達だったから一番コミュニケーションの量が減った時代。

いろいろネットで人間同士のトラブルが起きるのも人間性豊かな時代だからだろう。相手が人間でないなら(テレビ局やファミコンのプログラム)なら、トラブルも起きようがない。

テレビが奪ったものがネット時代になって帰ってきた – ガジェット通信 (via naonanigashi)

まったく同感。全員が同じものを一斉に摂取して同じことをいうあのTV文化ってほんとキモかった。子供の頃から。
滅びてよかった。

(via odakin)

(yaruoから)

実は無農薬栽培をすることで病害に侵され、りんご自身が害虫・病害に対する危機を感じ、農薬成分を自分で作り出して防御してしまう事が研究の結果わかっています。それは人間にとってアレルギーの原因となる物質で、健康な方には問題とはなりませんが、アレルギーを持っている方には毒になる可能性が考えられる物質が通常の3~5倍も含まれています。(果物アレルギーの方は無農薬りんごは避けてください)それは奇跡のりんごは腐らない。という有名な現象に現れていて、防腐剤に相当する成分が含有されているから腐らないだけなのに、それが何か生命力が強いような素晴らしい事のように喧伝されていますが全くそのような素晴らしい事ではない訳です。
ニワトリかタマゴかな話なのに原因を個人の資質に求めすぎて見える。

 人間が平等に持っているのは時間だけ。それでも健康な人間しか時間も持てない。

 しかし金があれば人の時間を買うことが出来る。
 良い家庭環境に育てば自分を磨くのに十分な時間を得ることが出来るだろう。
 稼ぎがあれば、買って済ませることの出来る雑用は多い。

 そうやって身の回りを忙殺する庶務を金で解決することで、金がある人は時間を確保し自分を磨くことに集中できる。

 貧乏であれば、自分のことは自分でするしかない。自分を忙殺するアレコレに自分で対応するしかない。
 自己投資なんかやってられない。
 今日を生きるのに精一杯なのだから、長期的な展望にそった努力なんて出来るわけが無い。

 だから貧困は連鎖するし、打つ手がなくなっていく。
 それを、安全圏から責めるのはスジが違うと感じる。

誰に対しても本質を突こうとするのは、自分立ち位置が見えていない人の行動だと思った。

自分が弱ったとき、他人からされてみて、初めてそういった行動の有害さがわかった。

昔は私自身も、問題には早急に向かい合うべきだし、世間話やあいさつには中身も意味も無く、

誰に対しても本気で本題をぶつけるべきだと思っていたのだけれど、

本質的な話」は特効薬にも毒にもなるのだとやっとわかった。

信頼関係が出来ていれば「本質的な話」がその人を救うことになるし、

信頼関係がお粗末であれば、「本質的な話」は相手を不快にし憂鬱にし恨まれるだけなのだ。

これからは、私が相手にとって、シビア現実を突き付ける資格がある人間なのかを考えよう。

まだ信頼関係が出来ていないと思ったら、その人には、まずは笑顔で必ずあいさつすることだけを心がけよう。

劣化するTVに対して、今や俺がマスコミ唯一の良心だと思ってるのがNHKラジオ第一。地味にいい番組してる。あんまり有名でも無いけどそれなりに頑張ってる人にじっくり話し聞いてたり、イイ音楽を意外に流してたり。討論番組とかもTVみたいに人が喋ってるのにそれにかぶせて話し始める人がいない。みんな話し終わった後で別の人が話し始める。

今後はTVの劣化とともにこういう廃れてたと思われてたメディアが少し復活してくんじゃないかなあと思ってる。だけど民放ラジオはラジオショッピングばっかりだし、TVから流れてきたと思われる妙なハイテンションについていけない。

ラジオってマス(大衆向け)コミだけど、なぜか聞いてるときは自分にだけ喋ってるような感じがするよね。特に深夜ラジオなんてそんな雰囲気。21世紀はまたこういうのが復権するといいな。